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更新日:2010年2月20日

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庄原市の紹介

円通寺本堂(国重要文化財)

円通寺本堂

 甲山城跡・円通寺は、1553年に毛利氏の支配下に入った山内首藤家の史跡です。
 山内首藤家は、毛利氏と同じく関東から下向し、南北朝の内乱や応仁の乱を通じて、その支配基盤の確立と勢力の拡大を図りましたが、 毛利氏同様、大内氏・尼子氏という二大勢力の間で、その身を処していく必要がありました。
 互いにこの二大勢力に一味離反することで間接的に敵味方の関係を繰り返しました。
 1542~1543年の大内義隆の雲州攻めの際に、大内軍は敗退しましたが、毛利元就も敵の追撃をかわして、単騎山内氏の甲山城に入り、難を逃れました。
 元就は、山内氏に自らの進退を委ねましたが、山内氏はこれを厚遇して、元就の護衛として庶子家河北氏ら重臣36騎をつけて、郡山城へ送り届けました。以来両氏の関係は緊密になったとされています。

交通機関

JR芸備線備後庄原駅車15分
中国自動車道庄原IC車15分

黒岩城址(くろいわじょうし)

黒岩城址 (くろいわじょうし)

 中世戦国期、この地方は尼子氏と毛利氏の争いの陰陽最前線にあたり、戦略的にも極めて重要な拠点となった城である。
 1553(天文22)年の毛利氏と尼子氏の戦い(泉合戦)の時黒岩城主、泉氏は毛利方につき、勝利を納め手柄を上げた。
 その時毛利本陣は黒岩城の麓におかれ城は 重要な役割を果たした。

交通機関

JR三次駅より
高野町・口和町宮内方面
バス約40分
上大月停留所下車、徒歩10分

眺めてよし、登ってよしの「蔀山城址」(しとみやまじょうし)

蔀山城址(しとみやまじょうし)

 新市盆地の東にそびえる蔀山は、1316年に首藤通資が築城し、1591年毛利輝元の命により、落城まで長い間合戦場となった陰陽の要の城があった所です。
 北側は嶺、東から南側は神の瀬川が自然の水掘を造り、西側の一角の上市からの登山口を持つだけでまさに難攻不落の城であったと思われます。頂上には、1の段2の段と下につれて狭くはなっていますが、整地された広場があって井戸があり、矢竹も生えています。又、猿渡りなど合戦の逸話も多く残っています。
 秋の紅葉はすばらしく”蔀山おろすあらしのはげしくて、もみじのにしき、きぬ人もなし”と隠岐島に遠島の際、高野町に滞在された後鳥羽上皇がうたわれています。
 夏の涼風、秋の紅葉と眺めても登ってもよい蔀山へぜひお越しください。
 登山口の近くには、天神さんがあり、境内にある乳下りイチョウは、県内でも指折りの大木で、一度は見ておいても損はないイチョウの木です。

交通機関 

JR三次、庄原駅からバスで
新市下車後、徒歩1km登山口
タクシーは高野交通
(082486)2244

関連史跡等詳細情報

名称 分野
円通寺・甲山城跡
えんつうじ・こうやまじょうしあと
神社・仏閣,史跡・遺跡
日吉神社 ひよしじんじゃ 神社・仏閣

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