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更新日:2010年2月20日

西蓮寺は、法僧可意山(かいざん)と号し、浄土真宗本願寺派のお寺です。本尊は、阿弥陀如来です。
1577年3月21日、僧泉秀(せんしゅう)の開祖と伝えられています。初めは、真言宗観世音院西蓮寺と号していましたが、のちに改宗したとされています。
毛利氏重臣の琵琶甲城主口羽下野守通良(くちばしもつけのかみみつよし)は、本願寺顕如に帰依し、石山戦争の作戦指導の因縁から、三男元通(もとみつ)を宗祖の直弟子として法名泉秀を賜って、 西蓮寺の開祖となったと伝えられています。
桜門(ろうもん)は、5間に3間の総欅造で1848年に上棟し、 一部未完成ですが山寺にふさわしい荘厳な境内を示しています。また、境内にある経蔵は、正八角形喘嗚漆塗金箔極彩色(ぜんめいうるしぬりきんぱくごくさいしょく)の仏堂転輪蔵(てんりんぞう)が、納められています。
転輪蔵正面には、改宗前の真言宗観世音院の本尊、地蔵菩薩、八角八面に八角四天王及び八天王像、徳川10代までの位牌を安置し、八面の引出しに一切経をおさめた経架が回転する構造になっています。
JR三江線口羽駅よりタクシーで
25分

琵琶甲城は、毛利元就四奉行の一人口羽通良の居城で矢羽城ともいいます。1529年毛利元就は尼子氏に帰服したとして、阿須那(あすな)にある藤掛城の高橋興光を滅ぼしました。
そのあと、毛利氏家臣、志道元良の二男通良が口羽に封ぜられ、 在地名を名乗って口羽通良と称しました。通良は、琵琶甲城を築いて居城として、のちに毛利四天王とも称されました。
この城は、赤名を経て出雲、都賀(つが)を経て石見銀山、 安芸国川根から吉田郡山城へと続く毛利氏の軍事・経済・交通の要衝にあたり、出雲地方への進出の拠点となったお城です。
天険の地形を利用して、本丸、二の丸の外に延びる尾根に夫々多くの郭や空掘、堅堀を設け、その遺構もよく残っています。城の麓に宮尾山(みやおやま)八幡宮、祈願寺として真言宗延命寺、城主の菩提寺臨済宗宗林寺(しゅうりんじ)を配し、中世城地の模式的な構えが現存しているのは、島根県下でも珍しいと思われます。
JR三江線口羽駅より徒歩で30分

山霧に浮ぶ二ッ山は、1223年に出羽氏によって築城され、石州で2番目に古い山城です。
出羽氏は毛利の有力な武将として活躍し、1558年尼子と毛利が戦った石州出羽合戦の舞台となりました。毛利元就は重要な家臣に実子を養子に入れ、基盤作りを進めていましたが、吉川氏、小早川氏と同様に元就の6男元倶(もととも)を出羽氏に養子に入れています。現在の二ッ山城跡の縄張りは、この時、毛利元就により拡張されたものと考えられています。その後、出羽氏は、幕末まで毛利の家臣として忠勤に励んだといわれています。
広島浜田自動車道
大朝インターより車で15分
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