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更新日:2010年2月20日

多賀谷氏は、鎌倉時代に武蔵国から伊予の地頭として移住し、南北朝期には上・下蒲刈島、倉橋島へと北上、これらの島を領有しました。
倉橋多賀谷氏は、倉橋湾を見下ろす本浦中央の丸子山に城を構え本拠地としました。標高50mで、火山の尾根の一部を堀り切って縄張りをしました。
倉橋多賀谷氏は、周防の大内氏との関係が深く、 毛利元就と陶晴賢が対立した時には陶氏のたてた大内義長側についたため、1555年の厳島合戦を前に、毛利側に攻め込まれ、城も落ちて滅びました。
呉駅よりバスで80分、
役場前下車徒歩10分
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