ここから本文です。

更新日:2010年2月20日

観る・遊ぶ・体験

広島を観る

広島で遊ぶ

広島で体験

東出雲町の紹介

京羅木山の中腹にある 「出雲金刀比羅宮」(いずもことひらぐう)

出雲金刀比羅宮(いずもことひらぐう)

 町の南部に京羅木山という山があります。海抜473mのこの山は、1565年、毛利元就が尼子氏の富田城を攻めるため、本陣を置いた場所です。 その中腹に有る「出雲金刀比羅宮」は元就が武運を祈り、出雲大社の御分霊を祀り建立したと伝えられています。
 1706年、土中より神体と棟札が出現してから、信仰者がにわかに増加したそうですが、元就との関係を示すものは、残念ながら残っていません。 社頭に立つと中海・島根半島を一望できる佳境で、敷地内には、キャンプ場が整備され、春には200本の桜が山を彩り、桜祭が開かれます。
 随神門に祀る随神は、座像で1.7mもあり日本五大随神の一つといわれています。
 境内から京羅木山登山道を40分程度歩くと、山頂からは広瀬の市街が見下ろせ、月山はまるで蟻塚のように見えます。絶好の富田城監視場所として、 兵糧攻めで毛利軍が勝利したことがうかがえます。

交通機関

JR山陰本線揖屋駅よりタクシーで10分

大内神社「ごんげんさんまつり」

ごんげんさんまつり

 「ごんげんさん」と親しまれている大内神社は、戦国時代に悲運の死を遂げた、大内晴持(はるもち)(義房)の御霊をまつり鎮めるための神社です。 毎年7月23日に「西揖屋(いや)ごんげんさんまつり」が行われ、大内氏の本拠地山口県の大内姫太鼓などで賑わいます。
 言い伝えによると、京羅木山に本陣を構えた大内義隆、毛利元就軍でしたが、尼子の守り固く1543年、毛利は陸路、大内は水路撤退したといいます。 大内氏の若大将晴持はその際、揖屋灘で溺れたのです。当時網元の八斗屋惣右衛門(はっとやそうえもん)が助け看病したのですが、甲斐なく亡くなってしまいました。大内氏の家老杉宗三(すぎそうざ)も、 当時敵地であったこの地に帰農し、墓所をお守りしたということです。今も吉儀(よしぎ)家では、お礼としていただいた刀を大切に所蔵しているとか。戦国時代とはいえ、敵味方を問わず情けをかけた当時の庶民の温かさがうかがえます。 
 町中にひっそりとたたずむ神社ですが、毎朝手を合わせて通る人も多く、乱世の悲しみを伝えています。

交通機関 

JR山陰本線揖屋駅より徒歩で5分

観光情報検索

イベントカレンダー

みんなの旅行記

フォトギャラリー

写真を投稿する

投稿写真を見る ダウンロード