ここから本文です。

更新日:2010年2月20日

観る・遊ぶ・体験

広島を観る

広島で遊ぶ

広島で体験

廿日市市の紹介

「暴風雨は好機!出陣せよ!」
 この言葉は、毛利元就が厳島合戦の決戦の際、家来に発したものと伝えられています。
 ところで、皆さんはこの決戦時、元就軍はどこから出陣したかご存知ですか。実は現在の市内にある地御前という所でした。
 はつかいちは、日本三景の一つ宮島の対岸に位置します。 当時は周防(現在の山口県)と安芸(現在の広島県)の勢力圏境でした。しかも、交通の便や市場の拠点として発展した、中国地方を統一するためには重要な地域でした。
 また、ここは神領であったために、この地の領主になって厳島の神様の威光を受けたかったからか、戦国時代には多くの武将がこの地をめぐって争い、戦場となった地域です。 現在でもそれに関する史跡が多く残っています。

戦国時代を伝える”洞雲寺(とううんじ)”

洞雲寺(とううんじ)

 洞雲寺は、この地の戦国時代の流れの全てを知っている、いわば”生き証人”のようなお寺です。
 このお寺は1487年、当時桜尾城主で厳島神社の神主でもあった藤原氏の菩提寺として創建されました。
 実はここは厳島神社の領地で、様々な意味で重要な地域であったためか、領土争いも激しかったのです。
 出雲の尼子氏と周防の大内氏の勢力争いにより 藤原氏最後の代の興藤が滅び、この地は大内氏側になります。しかし、戦国の世のならいからか、その大内氏から重臣であった陶氏側へ移り、厳島合戦で陶氏に勝利した毛利氏側へとめまぐるしく変化しました。
 ちなみに敗れた陶氏は桜尾城で首実検のうえ、この寺に埋葬されています。また、お寺には藤原興藤の墓や元就の四男穂田元清の墓、桂元澄の墓もあります。
 当時の歴史を語ってくれる洞雲寺。お墓参りをし、歴史をたどってみませんか。

交通機関

JR山陽本線廿日市駅下車
徒歩 10分
タクシー 1分
(駐車場がないので、公共交通機関を利用してください。)

関連史跡等詳細情報

名称 分野
極楽寺 ごくらくじ 神社・仏閣,自然探索
洞雲寺 とううんじ 神社・仏閣
桜尾城址 さくらおじょうし 史跡・遺跡,桜
石見津和野石だたみ道
いわみつわのいしだたみどう
史蹟・遺蹟,自然(その他)

観光情報検索

イベントカレンダー

みんなの旅行記

フォトギャラリー

写真を投稿する

投稿写真を見る ダウンロード