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更新日:2010年2月20日

これは約260年間栄えた毛利氏36万石の居城、萩城の石垣です。萩市街の西北隅にあたる指月山(しづきやま)のふもとにあり、 萩城は別名指月城とも呼ばれていました。
萩市が歴史に本格的に登場するのは、毛利元就最愛の孫である輝元が関ヶ原の戦いに敗れたため、中国8カ国から防長2カ国に減封され、1604年に萩に築城した時からです。
以後代を重ねること13代、敬親(たかちか)に至って1863年に藩府が山口に移されるまで、36万石の城下町として栄えました。 その後1874(明治7)年にすべてが解体されました。
現在、この石垣の内側は指月公園として整備され年間20万人を越す観光客の方に利用されています。また市内南の大照院、東の東光寺は毛利氏の墓所として藩主と夫人の墓がありその墓前に約500基の石灯籠が並び、壮観です。 その他、市内のいたるところに毛利氏ゆかりの名所旧跡がたくさん残っています。
JR山陰線東萩駅より徒歩20分

約390年の歴史をもつ萩焼は茶人の間で「一楽二萩三唐津」とまで絶賛され、茶陶の優なるものとされています。
萩焼の歴史は、萩に移ってきた毛利輝元が朝鮮の名陶工を招いて 藩の御用窯として開かせ、朝鮮陶技の伝統を伝えたことに始まります。その後、朝鮮李朝の作風は徐々に日本的なものに変わっていきましたが、 由緒ある伝統と技術は更に磨かれ、その芸風は広く海外まで高く評価され愛好されるようになりました。
萩焼の特徴のひとつに、焼き上げるときの偶然の火力の変化によって 模様ができる「窯変(ようへん)」があります。また、使っていくほどに茶慣れによって色艶が変わっていきます。 これを「萩の七化け(ななばけ)」といい、これは他の焼き物では見ることのできない焼き物の楽しみ方だといえます。
現在、萩の特産品として市内には百をこえる窯元があり、 それぞれの作風をもって利用されるお客様を魅了しています。
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